九州大学理学部化学 田中武彦、今城尚志

 

  1. 近年の分光装置の発達により、大量のスペクトルデータが機械可読の形で得られる状況にある。分子の高分解能スペクトルは、分子に関する豊富な情報を秘めているが、それを引き出すには、スペクトル線の各々に量子数を割り振る手続き(スペクトルの帰属)が必要である。従来この手続きは、測定されたスペクトル中に明瞭に見て取れる規則的なパターンを手がかりに行われてきた。

    しかし、こうした規則的なパターンが簡単には見出せないような複雑なスペクトルの例が数多く見られる。このようなスペクトルの解析を支援するために、ランダムな分布に見える測定値の並びの中に埋もれた規則性をもつパターンを拾い出す手法を、機械発見の方法を用いて開発する。これによって、分子分光学の進歩にも寄与することを目的とする。

    電子計算機を利用して分子スペクトルの解析を自動的・効率的に行う試みは、実は古くて新しい課題である。分子分光学者にとって汎用電子計算機が容易に利用出来るようになった直後から、国内外でこのような試みが幾たびも行われてきたが、便利な手法は未だ開発されていない。最近の分光装置の進歩は、スペクトルデータを迅速にかつ大量に生成することを可能にし、効率的な解析手法の創出はますます必要性が高まっている。計算機の能力が飛躍的に向上し、情報科学の方法が発達した現在において、このような試みに新たに挑戦することは、緊急性の高い課題である。また、分子分光学と情報科学の双方に有益なインパクトを与えるものと期待する。

    我々のグループは、分子分光学の専門家の集団であり、これまで長年にわたり高分解能スペクトルの測定・解析を行い、多種・多様な分子種について、精密な分子構造、分子内の相互作用、化学反応性との関連などを解明してきた。この間、本研究課題のような電子計算機を有効に使う効率のよい解析法を開発する必要性を常に問題意識としてもっていた。

     

本研究の目的は、我々分子分光学者と情報科学の専門家との緊密な協力によらなければ、実現できないと考えている。また、両分野の接点における連携が本研究の特色でもある。幸いにも本特定領域研究に参加させていただいたので、情報科学の最先端の知識を吸収させていただくとともに、積極的な討論を通して、本研究の目的の実現のために有効な方法を探索してゆきたい。

具体的には、本研究グループが保有する超高分解能フーリエ変換分光光度計を用いてスペクトルの測定を行い、実測されたスペクトルデータを材料とする計算機実験を通して、本研究を遂行する。本研究で測定に用いるフーリエ変換分光光度計(Bruker IFS 120HR)は、4年ほど前に本研究室に導入されたもので、世界的にも最高の分解能を誇る装置である。導入以来、今城が中心となって整備を進め、順調に稼動している。

解析方法については、出発点として「階差数列法」、「結合差分法」、「相関関数法」などのアイデアをもっているが、上にも述べたように情報科学の専門家との協力によってまったく新しい方法が発想される可能性もあり、それを期待している。研究会及び、直接訪問により積極的に情報科学専門家と討論する。本グループから、分子の高分解能スペクトルの特性、伝統的な解析方法などについて説明するとともに、有効な手法について助言を得たい。

階差数列法

測定されたスペクトル線を、周波数の1次階差、2次階差に基づいて分類・集計する手段により、スペクトルの規則性を見出す方法を開発する。

結合差分法

伝統的なスペクトル解析に用いられていた方法を、電子計算機による大量データ処理を生かすように拡張して、スペクトル解析を行う手法を開発する。

相関関数法

分光光度計からの生データは、周波数の関数としてスペクトル強度を与える。これを直接用いて相関関数を計算し、スペクトルの規則性を見いだす方法を開発する

スペクトルシミュレーションプログラムの開発

問題点の明確化には、シミュレーションデータが有効であると思われるので、スペクトルのシミュレーションを行うプログラムを開発し、このデータをも併せて用いる。